ブルーハーブ20周年日比谷野音ライブは、台風が迫るなかアメニモマケズの船出だった!
こんにちは、ジアライズです。先日、初めてザ ブルーハーブ(Tha Blue Herb)のライブに行ってきました。
初ライブが20周年日比谷野音ライブということで、ワクワクドキドキでした。しかもまさかの台風到来。
会社を早退してまで行くか、行かないか悩んでましたが、やはり行ってよかった、行かなかったら一生の後悔でした。
行きたかったけどチケットを入手できなかった方や、飛行機が飛ばなかったりなどで参加できなかった方もいらっしゃると思います。
でも僕たちはブルーハーブが大好きな同士には変わりないです。
台風の前の静けさと日比谷野音の雨対策
日比谷野音のライブは雨天決行のため、事前の準備が大切でした。なにせ台風なので雨に濡れないための対策をしました。
作業服屋さんでゴム臭い格安の長靴と、100円ショップでカッパを上下揃え、カイロも購入。仕事を早退し会社員からB-Boyへ。
North Faceのアウターと、ナイキのタイツをGパンの下に履いて戦闘態勢が整った。いざ大海原への船出です!とりあえずビール買って出発。
日比谷野音での雨対策
日比谷野音は持ち込み可能なので、事前に地元のコンビニなどでビールやカッパなどを購入しておくことがオススメです。
カッパは500円で売っていますが、数に限りがあると思います。駅のコインロッカーも大抵埋まってます。
ビールは野音の売店で450円で350缶が販売!僕は2本買いました!
いざ日比谷野音へ
霞ヶ関駅から日比谷野音に入場。
自分の席を探し回りB4 25の席を発見。嵐の前の静けさ、雨はやみ風は収まっていた。
かなり前の席でBossの表情もしっかりわかる位置。
20周年の日比谷野音はDVDが発売されると思いますので、楽しみに待ちたいと思います。
運命共同体、嵐の航海をブルーハーブに任せる
これから嵐がやってくるというのに、私たちはブルーハーブのライブに参加している。しかも日比谷野音なので思いっきり野外。すべて整った。
Bossが登場し、すべてを任せる決心がつく。この船は沈まない、とにかく安心してライブを楽しむ、言葉を楽しむだけだと。
アメニモマケズと路上
やはり台風の猛威はすぐそばまできていた。やんでいた雨は次第に大粒の雨へとなり、最初はやりすぎたかと思った雨対策は正解だったと感じた。
アメニモマケズ、ブルーハーブと僕はそこにいた。
『路上』は好きな曲の一つなので、じっくり聴き入ることができた。
公演後に、FESNの森田さんがカメラに向かってメッセージを撮っていて、ありがとうございますを言わせていただいた。
Tha Bossインタビュー Japanese Hip Hop and me
BossのインタビューがYouTubeにありましので、紹介します。
私がブルーハーブの衝撃を知ったのは2000年ごろ。
地元の後輩、KD5に教えてもった。感謝したい。
インタビュー内容
ラップを始めたのが94年、95年。
96年のさんピンCAMPがなまらかっこよかった。
レーベルを作ったきっかけ
北海道に来ていた服屋の黒人、ハリーがレーベル作っちゃえばと言われ、どうやれば作れるのかを聞く。
そんなの作ったらレーベルだよ!っというきっかけ
ザ ブルーハーブの名前
のりできめた。ブルーハーツが好きだったということもある。
97年ザ ブルーハーブ結成。TheはThaの方がカッコいいでしょ。
音楽で飯食うなんて夢のまた夢
バイトの給料がはいったら、ほのぼのレイクに返済
Dj Krushがブルーハーブの曲をかけている事を知り、東京のレコード屋からレコードを仕入れてたいとFaxがバンバン届く様になる。
1998年12月24日、北海道でDj Krushの前座にブルーハーブが登場!その後のDj Krushが知恵の輪をかける、札幌の仲間が報われた
1999年5月2日、東京にてライブ、森田さん(FESN)と出会う。勝手にビデオ撮っていたらしい!
インタビューこちら
出典:tha BOSS [THA BLUE HERB] Interview 「JAPANESE HIPHOP AND ME」
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
もしよろしければ、Facebookにいいね、インスタグラム・ツイッターをフォローをしていただけると幸いです。
よろしくお願いします。